【スペシャルインタビュー】アカデミー出身 トップチーム 西洋祐コーチ「アカデミーで育まれていく、我がチーム・ベガルタ仙台への愛情。良い環境が生み出す選手の責任感」(ベガルタ仙台クラウドファンディングEVER GOLD SPIRIT FUTURES)
特集
2025.09.30
現在、ベガルタ仙台ではアカデミー(育成・普及)のチーム移動手段の確保(車両の購入、車両のラッピングデザイン)を目的とした「ベガルタ仙台クラウドファンディングEVER GOLD SPIRIT FUTURES」を実施中です。9月19日から始まった本クラウドファンディングでは、すでに多くの方々にご支援をいただき、9月30日現在、7,640,000円を超えました。
現在、トップチームでコーチとして森山佳郎監督のもと、選手たちを鍛え上げる西洋祐コーチは、ベガルタ仙台ジュニアユース、ユース出身、トップ昇格選手、アカデミーコーチ・ジュニアユース監督も経験しました。アカデミーからトップ、選手&指導者として「ベガルタを背負い続ける存在」に、ご自身の歩みと共に、アカデミー支援の意義や地域のクラブへの愛情について伺いました。
——北海道コンサドーレ札幌戦は3-0の完勝でしたね。西コーチは仙台に残った選手たちのトレーニングを担当されていましたが、映像を通してどうご覧になりましたか?
「よかったですよね。狙い通りというか、しっかりとみんなで試合に向けて準備したことが出ていた。最初から強気に行こうという話をしていて、3点取ることができ、最高ですね」
——チームの2点目は山内日向汰選手のFK。彼はあの武器を持ってたんですね。
「日向汰はすばらしいキックを持っています。点を決めることができる選手のキックだと思っていました。まあ、でも、あの直接FKだったとは……」
——見事なFKでしたね。さて、今回のインタビューですが、アカデミーのためのクラウドファンディングが始まっています。ユース出身、トップ昇格選手、アカデミーコーチ・ジュニアユース監督、トップコーチ、これだけの経験をしている人は、西コーチ以外にはいないですよね。
「どうなんですかね……。トップの指導者にまでなった人は……そうですね。いないかもしれません。僕は運がいいというか、恵まれているなと思います。指導者としてもチャンスを与えてもらっているなと思います」
——ベガルタ仙台のアカデミーから指導者としての道が始まりました。
「現役最後は、グルージャ(現岩手グルージャ盛岡)でプレーしていました。引退することになって、ベガルタ仙台からお声がけいただいて、ジュニアチームのコーチになりました。そこからずっと人に恵まれて続けて来られましたね」
——改めて、西さんご自身がユース選手の時はどのような環境だったのでしょうか?1999年、ベガルタ仙台がJリーグに加盟したころですね。
「環境が今とは全然違いますね。グラウンドも泉パークタウンの宮城大学の土のグラウンドで練習をしていました。芝ではやれていなかったですし、クラブハウスもなかった。今では乗馬クラブになっているところのプレハブの一角を使わせてもらったりしました。土のグラウンドがカッチカッチなんですよ。まるでコンクリートみたいに。それも面白かったですけどね」
——強かったですか?
「いや。あまり勝てなかった印象ですね。清水秀彦さんが監督としてその年の途中で来て、激動の時期でしたね」
——当時の西さんは、ユースとしてトップに上がった最初の選手ではなかったんですか?
「最初だったんですけど、その前に練習生契約みたいな感じの選手も3、4人いたんですよね。僕が一応、プロ契約としては初めてだったんです」
——西さんがトップ昇格したのが2002年。チームも初めてJ1昇格。ユースからトップに上がったということですね。
「そうです」
——高校3年生の時に見たトップチームはどんな印象でしたか?
「あのころは、あまりJ1昇格するという雰囲気じゃなかったと思いました。99年は下位の方でしたし、2001年に急に強くなってきたというイメージがありました。やっぱりまだまだJ1という雰囲気はなくて『ベガルタって今年強いの?』みたいな感じで、正直、僕もトップ昇格が決まっても、『来年もJ2で戦うんだろうな』というイメージがありました」
——しかしJ1でルーキーイヤーを迎えましたね。当時のチームメートがものすごい顔ぶれでした。
「あの時、高卒で入ったのは僕だけで、あとはもう元日本代表選手が10人ぐらいいたかな。森保一さんが一緒でした」
——小針清允さん、小村徳男さん、渡邉晋さん、片野坂知宏さんもいて……。そんな中でやっていたのですか?
「はい。でも僕自身は正直、まだまだプロに入るための準備ができた上で入ったわけじゃなかったなと思います。急激に環境が変わっていったころでしたし……」
——その時は高卒1年目なので、今の横山颯大選手、安野匠選手、南創太選手と同じくらいのころですよね。
「はい。今、彼らは堂々としてすごいなって思いますけどね」
——西さんも当時、女性ファンから黄色い声援を浴びていたのでは?
「本当に、あの時はいっぱいいっぱい。あまり記憶がないですよね(笑)」
——ベガルタ仙台で2002~2004年の3年間。J2降格も経験しました。出場試合数などから見ても、もどかしい思いもいろいろあった時期だったのかなと。
「そうですね。ただシンプルに力がなかった。プロに入るという心構えも足りなかったなと思いますね」
——周りには常に名だたる先輩たちがいる環境。吸収しきれないぐらい、いろんなことが日々身の回りで起こっていたのではないですか?
「あのころは厳しい先輩も多かったですし、みんなはっきりと物事をいう。そういう時代だったので、やっぱり日々戦うという感覚です。その中でメンタリティーを保つというか……。メンタリティーの準備、プロになる精神力、そういうものは大事だなと思いますけどね」
——その後、グルージャ盛岡、ソニー仙台FCに行って、再びグルージャへ。ベガルタとは異なる新しい場所でのサッカーはいかがでしたか?
「やっぱりシンプルにサッカー楽しかったですね。自分が中心になってやれるという面白さもありましたし、環境は厳しく、なかなか大変だったんですけど(笑)それでベガルタから初めて離れた時に、『ベガルタってすごいビッグクラブなんだな』って改めて思ったんです。東北の他のチームから見たらそうなんです。離れて初めて『ベガルタってすげぇな』みたいな。見る目も違う。他の人たちもベガルタには一目置いてましたし」
——離れて分かることもあるということですか。そこにいる時は、当然だったりもしますよね。
「はい。すごくそういうことを思いました。そしてやっぱり離れて、『俺ってベガルタ好きなんだ』って。結局、そう思いましたね」
——育ったチームへの帰属意識が育っていたということですよね。
「仙台で上手くいかない中でチームを離れて『なんだよ』と反発する気持ちを持つかな?って思っていたんですけど、結局はそういう意識があったと思いますね」
——どうしたらチームに対する愛着や帰属意識が育って行くものなのでしょうか?
「やっぱり小さいころから試合を見ていたし、ボールパーソンを経験して目の前で選手を見たりとか。そういう経験を通じて、植え付けられていたものがあったのかなと思います。僕も地元が近いので、“自分のクラブ、この街のチーム”みたいな気持ちが自然と芽生えてそうなっていったんだなって思いますね」
——その仙台で指導者としての第一歩を踏み出しました。最初はジュニア、ジュニアユースでコーチ、監督と進んでこられました。指導者としての歩みはご自身としてはどんな思いがありますか?
「ジュニア、ジュニアユースの指導者を経験して、その後仙台大学の方へ派遣されました。そしてトップチームへ入ることになりました。まずは本当いろんなチャンス、場を与えてもらってクラブに感謝ですね。最初は本当に未熟でしたし……。30歳くらいで指導者となって、本当に未熟だったと思うので、その中で粘り強く、温かく、我慢強く見守っていただいたかなっていう思いがあります。それに甘えてはいけないですけどね。携わった選手たちや親御さん、なんかこうしたらいいのにというところがたくさんあったんじゃないかと。今思うと、もっとちゃんとできたなとか、そういう思いはありますよね」
——当時のアカデミー生で、今トップで活躍している選手はいましたか?
「監督がいて、僕はサポートをする立場でしたが、U-10の小学3年生を担当していました。その時の6年生に(工藤)蒼生がいて、5年生の中に、最初の方はヒデ(武田英寿)がいました。ジュニアユースには中学1年生の(郷家)友太もいましたね。他にも何人かプロになっている選手はいますね」
——小さいころを知っていて、今大人になってトップチームで一緒にやっているということも不思議ですね。
「面白いですよね。すごいことだと思います」
——アカデミーでの指導を通して、最も忘れられない年はいつですか?
「ジュニアを担当した2年目、2013年かな。『JA全農杯チビリンピック2013』という全国大会があるんですけど、その時に初めてベガルタ仙台ジュニアが優勝したことは強く記憶に残ってるんですよね。指導者としては駆け出しで、その時の監督は壱岐友輔さんでしたが、『東北、宮城のチームも全国でやれるんだぞ』みたいな雰囲気を出していきたいという思いがありました。その中で結果を出せたっていうことは、ものすごくうれしかったです。そのころのトップチームもすごいパワーを持っていました。J1のトップに行ったりしていて、強く記憶に残っている年ですね」
——今年の夏のクラブユース選手権で、ユースは準優勝という活躍でした。仙台アカデミーも脚光を浴びていますね。
「本当にすごいことですし、うれしいですよね。僕は仙台、宮城で育ってきたので今はだいぶなくなりましたけど、過去には東北のクラブ、地域がサッカーではちょっと遅れを取っているとか、なかなか強くならないと言われて、それがすごい悔しかったんです。選手としても、指導者としても、やっぱりそうは言わせたくはない。『俺たちもできるんだぞ、これだけいい選手がいるんだぞ、いいチームがあるんだぞ』っていうものを見せたいなっていう気持ちがありました。今、指導者になってからもそう思っていますし、それをうちのアカデミーが、ユースがちゃんと示してくれた。そのことがすごくうれしかったです。『俺たち、戦えるんだよ』ということです」
——ジュニアユースコーチの永井篤志さん、ユースの永井大義選手のように、親子2代で選手というパターンもありますし、夢がありますね。現在、ユース選手たちがトップの練習にも継続的に参加しています。アカデミー指導者のみなさんもトップの指導者と交流していますね。
「もちろんユースの方にも負担があると思いますが、選手にとってはすごくいい経験だと思います。すごくアカデミーとトップの距離が近づいたなと感じます。ゴリさん(森山佳郎監督)を始め、スタッフが『どんどんユース選手も入れていこうよ』という考えを持っています。クラブ全体で『もっと選手を出していこうよ』という意識があっていいことだなと思ってます」
——この夏のユースの活躍は、もちろん加藤望監督を中心としたユースチームのがんばりがあってのことですが、トップとの関わりも少なからずあるのではないかと。横山颯大選手が「トップと一緒の強度で練習すると、同年代と対戦した時にちょっと余裕を感じられるようになる」と教えてくれました。
「そう思ってくれたらうれしいです。僕もアカデミーで指導者をしていた時は、関東など他の地域と比べると、対戦相手やリーグ戦でのレベルがそれほど高くなかったりする。関東のリーグ戦はすごい強度で、毎試合が全国大会というような状況でやれていると思うんです。それをどうやって作り出すかというところは、東北の僕ら指導者の腕の見せ所だったと思うんですけど、それは逆にJリーグを戦うトップチームとやってしまえば、それ以上のものを経験でき、個々にそれをチームに持ち帰っていく。プレーの基準をどんどん上げていけます。年に数回ではなく、ほぼ毎週のようにトップとプレーする機会があったので、大きな効果があったのではないかと思います。ユースが普段から高い基準でトレーニングしているということは、トップから持ち帰っているものがあると思っています」
——今回のクラウドファンディングでは、アカデミー選手がより安全、安心にサッカーに打ち込めるよう、移動手段を含めた環境の整備を進めるためのものですが、西さんもアカデミー指導者時代は、移動のバスを運転されていましたよね。
「はい。コーチが運転していくよさはあると思っていました。フットワーク軽く、練習や試合が終わったらすぐに会場を出られるというよさもあります。運転するからには責任があるんで、常に移動の安心、安全を考えていました」
——その移動に関する環境が向上していくことは、アカデミー選手たちにとってもプラスになりますか?
「もちろん大きなプラスになりますよね。いい環境を作ってもらえた。移動のバスがよくなったとなれば、選手たちには責任も芽生えます。それだけクラブや応援してくれる人がアカデミーに力を入れてくれているんだよということ。それが当たり前ではないということを、指導者が選手に伝えていかなければいけないです」
——西さんのここまでのお話を伺ってきて、アカデミーの選手たちのベガルタに対する愛着とか帰属意識というのは、そこで育ち、応援を受ける中で、自然と芽生えてくるものなのかなと感じました。
「そう思いますね。トップチームの試合を間近で見たり、このクラブで育つと、帰属意識は生まれてきます。指導者がどう伝えていくかという工夫はもちろんあるんですが、やっぱり自然と植えつけられるものはあります」
——今、トップにアカデミー出身選手が多く在籍します。これだけ出身者がいるということに、アカデミーが積み重ねてきた歴史を感じます。
「クラブもそこをより大切にしていく、より育成を大事にしていくという意識が高まり、そういうものが重なって、今よりいい方向に向かっているのではないかと思いますね。僕も、その最初のころの環境が整っていない時期を経験しているので、そういう時からアカデミー環境をよりよくしようと整えて、つなげてきてくださった方々がいたからこそ、今があるということを感じています」
——私たちはベガルタ仙台アカデミーをどんな風に応援して行ったらいいですか?
「今、多くのみなさんがアカデミーにも注目してくださっている感じがします。そういうことがすごくいいし、ありがたいなって思います。多くの方がベガルタに愛情を持って、アカデミーにも注目してくれている。もちろんきっかけが夏のクラブユース選手権の躍進だったかもしれないですけど、僕は注目されていることがうれしいです」
——ちょっと結果を気にしたりとか、今回のクラウドファンディングへの参加もそうですが、まなざしを向けることで応援する方法はたくさん見つかりそうですね。
「そうですね。まずは知っていただくこと。『ちょっと近くで試合をやっているから見てみようかな』とか、身近に感じて『がんばってね』と思ってくれたり。今では変わってきましたが、クラブチームは高体連と比べると、メディア露出が少なくて、ちょっと注目されるだけでうれしいんですよね。僕はメディアに取り上げられるだけでも、それがすごくうれしかったです」
——西さんは選手として、指導者として、ベガルタのアカデミー、トップのあらゆる歴史を作ってきて、現在も現場でそれを続けているということが誇らしいです。
「もっと歴史を作ってきたレジェンドはいますからね。僕はどうしても、選手としては結果を残せなかったという思いがあるので、やっぱり選手でしっかり結果を残せている人たちをリスペクトしています。指導者として今、チャンスに恵まれているので、しっかりやらなきゃいけないと思います」
ベガルタ仙台ではアカデミーの未来、すなわちベガルタ仙台の将来を担う選手たちの環境のアップデートをテーマに、2025シーズンも引き続きクラウドファンディングを実施中です。ご協力をお願いいたします。
ベガルタ仙台クラウドファンディング EVER GOLD SPIRIT FUTURES
取材日:2025年9月28日
(by 村林いづみ)