【スペシャルインタビュー】GK1 堀田大暉選手「30歳でたどり着いたベガルタ仙台トップチーム、憧れのユアスタ。ベガルタ仙台アカデミーは、夢へとまっすぐに進める場所」(ベガルタ仙台クラウドファンディングEVER GOLD SPIRIT FUTURES)
特集
2025.10.03
現在、ベガルタ仙台ではアカデミー(育成・普及)のチーム移動手段の確保(車両の購入、車両のラッピングデザイン)を目的とした「ベガルタ仙台クラウドファンディングEVER GOLD SPIRIT FUTURES」を実施中です。9月19日から始まった本クラウドファンディングでは、すでに多くの方々にご支援をいただき、10月3日現在、8,090,000円を超えました。
宮城県仙台市出身で、幼いころからベガルタ仙台を身近に感じてきたGK堀田大暉選手。ベガルタ仙台ジュニアユース、ユースで成長を続け、東洋大学を経て、福島ユナイテッドFCでプロキャリアをスタート。湘南ベルマーレやツエーゲン金沢、ファジアーノ岡山でのプレーを経て、2025シーズン、遂にベガルタ仙台へ帰ってきました。第30節モンテディオ山形戦で出場機会をつかみ、連勝に貢献している堀田選手へ、歩んできたアカデミー時代の思い出や仲間と競い続ける日々について伺いました。
——第30節山形戦、第31節札幌戦と、出場機会を得て2連勝。しっかりと結果が出ています。今のご自身の状況など、どう捉えていますか?
「この状況がいつ来てもいいような準備、日々の取り組みを毎日怠らずにやってきたので、いざこういう出番が来た時も、今までやってきたことをしっかりと発揮するっていうところだけに集中してやれています。結果がついてきていますが、まだ何も成し遂げているわけではない。まだ道の途中なので、しっかりチームの目標を果たせられるようにやり続けたい思っています」
——山形戦で出番が巡ってきましたが、先発出場はいつ告げられたのでしょうか?
「試合の二日前です。ゴリさん(森山佳郎監督)と植田さん(元輝GKコーチ)から伝えられました」
——山形とのダービーマッチというタイミングでした。そこで巡ってきた先発出場です。
「昔から、そういうチャンスを引きつけるような何かはありました。思いというか、『自分が出たい』と思い続けてないと、なかなかそういう機会は巡ってこないのかな、と。GKはみんなもちろん試合に出たいです。出たいと思っているのは当然なんですが、具体的に出たらどうプレーするのか、そういったところまでしっかり考え続けてきたということ。その強い思いが伝わったのかなと思います」
——あの日は梅田陸空選手も松澤香輝選手もサポートしてくれていたようですが、大きな力になりましたか?
「もちろん大きな力になりましたし、あの日にいたるまでにずっと3人で切磋琢磨してきました。もちろんアキさん(林彰洋選手)も合わせてですが、試合に出ていない3人で本当にいい関係性を保ちながらがんばってきていました。もちろん陸空もマツくんも悔しかったと思いますけど、僕が出ると決まった以上は、本当にすばらしいサポートしてくれました。そのサポートのおかげで、僕も二人の思いも持って、アキさんの代わりに出たとしても、『他のキーパーもちゃんとやれるんだぞ』というところを見せないと、二人にも悪いなと思いました。だからこそいいパフォーマンスを出さなければいけないな、と。本当に一人で戦っているという感じではなくて、GKグループで臨めた試合だと思いました」
——岡山時代にもユアスタでの試合をしていますが、仙台の選手としてユアスタのゴールマウスに立つということはまた別の経験ですか?
「そうですね。応援の圧というか、アップでピッチに入った時に、サポーターのみなさんがとても大きな声を出して後押ししてくれました。その迫力にちょっと圧倒されちゃったというか、今からここで自分がプレーするのかと。みなさんの姿を見て『やるしかない』という覚悟は決まりました。ユアスタは幼いころから何度も来ているスタジアムですし、イメージは持っていったはいたんですけど、いざあそこに立つと迫力はすごく感じましたね」
——ウォーミングアップでピッチに入っていった時は梅田選手が先で、アップのメニューも梅田選手から行っていましたね。
「僕が仙台ではリーグ戦のベンチにも入ったことがなかったし、ホームであいさつをする流れもよくわからなかったので、そこでバタバタしてもよくないなと思って、『陸空、ちょっとわからないから先に行って』とお願いして、そこは陸空に引っ張っていってもらったような感じです」
——そうしたサポートもあっての今シーズン初先発はすばらしい試合になりましたね。アカデミー時代から見つめていた場での勝利は格別ですね。アカデミーではジュニアユース、ユースと6年間在籍していましたが、改めてご自身にとってはどういう時期でしたか?
「パークタウンの練習場では、僕たちが練習に行った時には、すでにサッカースクールやジュニアの練習が行われています。横のスペースが空いていて、練習が始まる前からグラウンドに出て仲間と一緒に練習していました。その練習終わった後も『どんどんやりたいだけ練習していいよ』とアカデミーコーチのみなさんは協力してくれました。そのころから“自主練の重要性”『コツコツやることが大事だぞ』ということを教えてもらいました」
——プロになってもベースになる大切な部分ですね。
「『1日10本やる。それを10日間やるだけでもそれだけでトータル100本受けていることになる』と。『毎日、テーマを持ってコツコツやり続けることが大事だよ』ということは、全体に対しても言ってくれていたので、本当に僕だけじゃなくて、みんな取り組んでいました。その時間が一番自分を成長させたと思っていて、その大切さとかを教えてくれた方が、そのままユースの時も見てくれていました。ユースになっても、みんなまるで今のトップチームと同じように、自分にしっかりベクトルが向いていました。成長しなきゃいけないっていう思いをみんなが持っていました。当時、仙台ユースは全国大会で結果残したことがなかったんです。出場しても予選敗退だったので、なんとか自分たちの代で結果を残そうと目標を掲げて、結果的に夏の大会でベスト8まで行けました。とてもいい集団の中で6年間を送ることができました」
——今年の夏、ユースが全国クラブユース選手権で準優勝という結果を残しました。
「すばらしいことです。僕たちがベスト8、その前は小畑裕馬(アビスパ福岡)とか、田中勘太(栃木シティFC)がもっといい成績を残していました。その前の僕たちが一つ全国で結果を残せたということも、アカデミー自体がもっと上を目指すきっかけになったのかなと思います」
——当時の仲間で、他のクラブで活躍している選手はいますか?
「今、鹿島アントラーズにいる千田海人は、小学校からの仲で、プロスタートしたのもお互いにJ3からだったので『這い上がってやるぞ』という気持ちを持ちながらやってきました。シーズンオフには一緒にご飯を食べて近況を伝え合ったりして、『また来シーズンがんばろう』みたいな感じです。絆が強いというか、そういう感じはあります」
——そうなると、同期と同じカテゴリーで対戦したいですよね。
「ぜひしたいです」
——仙台アカデミーならではのよさはどういうところにあると考えますか?
「他のチームがどうかわからないですけど、仙台アカデミーにとってユアスタがすごく近いところにあること。例えば、土日に自分たちのゲームや練習が終わって、その後、トップチームの試合がある時に自転車でユアスタまでまで行って試合を見たりしました。より近いところにトップチームがいるということで、『自分たちが目指すべき場所はここなんだ』っていうところを再確認できる。ユアスタには迫力のあるサポーターの方々がいて、その中でプレーする選手たちが、とても格好よく見えました。仙台のアカデミーでは『夢までまっすぐ進める』という感じがするんです」
——『夢までまっすぐ進める』。素敵な言葉ですね。
「そういう環境がすごく整っている。チームによっては練習場からトップの試合が行われるスタジアムが遠くて、なかなか行けないということもあると思うのですが、僕たちはタイミングが合ったらトップの試合には頻繁に行っていました。ボールボーイをして間近で選手たちの姿を見ることもありました。だから、トップチームからの影響を受けやすい環境だなって思います」
——堀田選手がアカデミーにいたころは、トップで誰がゴールを守っていましたか?
「林卓人さん(2007~2013年在籍)やシュナイダー潤之介さん(2007~2008年在籍)、関憲太郎さん(2008年~2020年在籍)ですね。それぞれ好きなところはいっぱいあって、林さんはどっしりとした安定感がありました。シュナイダーさんは試合後のパフォーマンスやその明るさが印象に残っています。関さんはどんな時も準備を怠らないこと。サイズ感も僕に似てるのでプレースタイルもお手本にしていました。いざ自分の出番が来た時にしっかり結果残す姿とか。そういったところはすごい憧れを持っていました」
——アカデミー時代の遠征、大会などへの移動はどのように行っていましたか?
「マイクロバスでしたね。結構ハードでしたよ。マイクロバスにみんなパンパンに乗って、補助席も全部使っていました。運転はアカデミーのコーチのみなさんがしてくれていました。みんなと密着して移動している分、コミュニケーションは取りやすいですし、楽しく移動していましたけど……。かなりハードだったなという思い出があります」
——この間もクラブユースで行って、試合が終わって、群馬県から日帰りしていました。翌朝、また出発するというようなスケジュールでした。
「ユースの時はどうしても長時間の移動が多いかなっていう印象はありますね」
——例えば、そういう時に利用する車両の環境がよりよくなったり、格好よくなる。これはアカデミー選手にとってはプラスになりますか?
「はい。しかも今回車両にはラッピングもされるんですよね?僕たちが乗っていた時は、白いシンプルなデザインでした。アカデミーで移動する車両がトップチームになるべく近づくとなると、見るだけでかなりモチベーションも上がるんです。今のトップのバスもそうですよ。やっぱり気持ちのスイッチが入るというか、そういったところの効果はあると思うので、これからのアカデミー生が羨ましいな(笑)」
——移動で利用するアカデミーの選手たちの心構えみたいのも変わってきますか?
「それはあると思います。大会の対戦相手でJリーグ下部組織のチームバスがあったりするのですが、そのチームのデザインがほどこされているバスだと、それだけで相手に対する圧になる。『強そう……』とか思いますね。ベガルタのバスもそうなったとしたら、やっぱり周りから見られる目も変わると思います。選手たちも覚悟というか、ベガルタを背負って戦うというところの気持ちのスイッチは入ると思うので、かなり効果はあるかなと思います」
——今、実際にユースの選手たちもトップの練習に継続的に参加しています。トップの選手にとっても彼らをより身近に感じながら一緒に練習をしていますが、そういうことの効果はアカデミー出身の選手としてどう見ますか?
「やっぱりトップチームの練習に参加して、トップのレベルを肌で感じることによって、彼らにとって目指すべき場所がより明確になると思います。練習に参加するということの意義は大きいと思っていて、参加する選手の数が多くなればなるほど、ユースのカテゴリーに戻った時の練習の質も変わってくる。それがかなりユースのレベルアップにもつながると思うのでものすごく大切なことかなと思います」
——この夏ユースが出した成果は、間違いなく彼らのがんばりですが、トップとのトレーニングの成果も多少はあると?
「いやあると思います。トップチームに参加する選手が多いと、プレーの基準が自然と上がってくる。その意味は本当にあったと思います。クラブユースで結果を残した後、参加してきた選手たちに自信がついていて、トップの練習試合に出ても、それぞれの選手のよさを発揮していて、かなりパワーがあるなと感じたんです。このサイクルは、すごくいいことかなと思います」
——アカデミーの後輩たちには、これからどんな風にトップレベルを目指して欲しいですか?
「トップチームに上がりたいということは全員が思っていることなんですけど、練習を積み重ねている中で、より自分の夢に向かって進む時にどうやって日々を過ごしていったらいいか。そういうところをしっかりと整理することです。最短で上がれたらいいですけど、遠回りしていくこともあると思います。そういう時に本当に諦めないことが大事かなと思っています」
——堀田選手のキャリアを考えると、その言葉は説得力がありますね。
「僕は30歳になって、やっとベガルタに帰って来られましたが、それまでずっと本当に、『仙台に戻って活躍したい』という思いは変わらず持っていました。その夢に対する熱さというか、そこは変わらず持ち続けていって欲しいかな。大学に行くこともあると思いますが、いろんな誘惑が増えたり、他の道も見えてくる。それぞれ年を重ねるにつれて、いろんな考えが変わってくることもあるかもしれないですけど、本当にベガルタのトップチームに上がるという夢は変わらずに持ち続けていって欲しいですね」
——堀田選手は、今まさに当時の憧れを体現しているということですよね。チームを勝たせる活躍をしています。
「やっとここまで来れたなという思いはありますけど、でもまだ2試合なので。それではあまり見ている人の印象には残らないかなとは思います。何年が経っても『こういう選手がいたな』というか、僕が今『当時好きだった選手はいますか?』とか聞かれた時にパッと出てくるような選手のみなさんのレベルまでがんばらないと意味がないかな。そのために仙台へ戻ってきたというところはあるので、そういう印象を与えられるように、もっとがんばっていかないといけないかなと思います」
——歴史に名を刻むためにも、昇格を決める試合のピッチに立ち、勝利をつかみたいですね。
「はい。そうできればいいですね。がんばります!」
ベガルタ仙台ではアカデミーの未来、すなわちベガルタ仙台の将来を担う選手たちの環境のアップデートをテーマに、2025シーズンも引き続きクラウドファンディングを実施中です。ご協力をお願いいたします。
ベガルタ仙台クラウドファンディング EVER GOLD SPIRIT FUTURES
取材日:2025年10月1日
(by 村林いづみ)